加瀬邦彦と沢田研二の感動秘話がマジ泣ける。


ザ・ワイルドワンズの加瀬邦彦さんが、東京・港区の自宅で死亡していたと報道されました。
加瀬邦彦さんは沢田研二さんのプロデューサーを務め、ヒット曲「TOKIO」などを作曲しました。加瀬邦彦さんと沢田研二さんの感動秘話がマジ泣けると一部で話題に上がっています。
加瀬邦彦さんと沢田研二さんの感動秘話をお伝えします。

加瀬邦彦は沢田研二のすべてをプロデュース。

沢田研二さんは、ザ・タイガース解散後、ソロとして数々のヒット曲を打ち出しました。

加瀬邦彦さんは沢田研二さん個人のプロデューサーとして衣装やすべてを考えてくれていたそうです。
沢田研二さんが化粧をしたりピアスを付けたりしたのも、加瀬邦彦さんの助言と言われています。

加瀬邦彦さんは沢田研二さんにたくさんの曲を提供しています。
「あなたへの愛」
「ウィンクでさよなら」
「おまえがパラダイス」
「危険なふたり」
「きわどい季節」
「TOKIO」
「バイバイジェラシー」

40歳以上の方でしたら、思わず口ずさんでしまう名曲も多いですよね。

加瀬邦彦と沢田研二の感動秘話。

沢田研二さんの『いくつかの場面』を収録しているときの話。

河島英五さんの書いた詞は、当時の沢田研二さんの状況にぴったり。

沢田研二さんは、歌っているうちに感極まって泣いてしまったそうです。
この泣いてしまった方のテイクは当初、加瀬邦彦さんからダメ出しをくらっていました。

しかし、いざ発売されたレコードを聞いてみると、泣いてしまったほうのテイクが収録されていました。

実際、途中から涙声になってしまう箇所があります。


沢田研二さんが「加瀬さん…これって…」と目を輝かせ、抱き合ったという噂。

ちなみに、この「いくつかの場面」は同名のアルバムの中に収録されています。
アルバム「いくつかの場面」がリリースされたのは、1975年。
沢田研二さんにとっては、大きな意味のある激動の一年です。

1975年5月、シングル「巴里にひとり」がフランスでヒット。
日本人として初めて、フランスのゴールデンディスク賞を受賞。

1975年6月4日、27歳で結婚。

1975年6月、三億円強奪事件をモチーフに製作されたドラマ「悪魔のようなあいつ」に主演。

1975年7月20日、比叡山延暦寺で結婚式。
同日開催した比叡山ライブでファンに結婚報告。

1975年8月、シングル「時の過ぎゆくままに」をリリース。
5週連続オリコン1位となり92万枚の大ヒット。

1975年12月7日、東京駅新幹線ホームに集まったジュリーファンのことで文句を言った駅員と口論となり、駅員に頭突きをする暴行事件が発生。

沢田研二さんはこの『いくつかの場面』という曲をとても大事にしているそうです。
今でも、この曲を披露し、深みを増しているそうです。

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加瀬邦彦さんのご冥福をお祈り申し上げます。


3 Responses to “加瀬邦彦と沢田研二の感動秘話がマジ泣ける。”

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